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クラーク博士小伝
                        クラーク博士(1826-1886)

札幌農学校(現北海道大学)は、明治(1876)開拓使によって札幌に開設された。時の開拓使次官黒田清隆氏は札幌農学校開設の指導経営にあたる人物の選定をアメリカ駐在公使吉田清成氏に依頼、マサチューセッツ農科大学学長のウィルアム・スミス・クラーク博士を得た。博士は、同大学の教え子であるホイラー、ぺンハロー両氏をともなって明治(1876)に来日、教育をはじめた。札幌農学校創立者であるクラーク博士は、アメリカの大学の現職の学長であったためヵ月後の187716日に帰国の途に就き,現在の北広島市島松沢で見送りの札幌農学校1期生たちと別れたが、学生の求めに応じボーイズ・ビー・アンビシャスと言う言葉を残し、アメリカに旅立って行ったといわれる。

クラーク博士は、182631日、北米マサチュ-セッツ州アッシフィールドの医師の家に生まれ、22歳の時アマースト大学を卒業、ドイツ ゲッチンゲン大学に留学、鉱物学・化学を修め、26歳で「隕石の化学的成分」という論文を提出し博士の学位を取得した。

帰国後、母校アマースト大学に15年間化学の教授として勤務した。この間、当時アメリカにおいて最も完備した化学実験室を作るために再度ヨーロッパに渡った。

1860年、アメリカで南北戦争がはじまった。戦争の主要な争点の一つは、リンカー